理解のある男
ムウ・ラ・フラガは掴み所のない男である。
普段はダラダラしている姿ばかり目につくが、仕事は完璧にこなす。
気さくな性格で社内外を問わず人あたりも良い。
加えてホスト顔負けの甘いマスク。
憧れる女性社員は少なくない。
浮いた噂もちらほら。
ムウの1m以内に近付くと妊娠する、等という噂も出たくらいだ。
そんな彼も2,3年前に上司のマリュー・ラミアスと結婚した。
すぐに息子も産まれた。
それがまた可愛らしい子供だ、とはナタルのメロメロっぷりでも有名である。
マリューは人情家で少し童顔気味の優しい容姿と相反する豊満な体は男性社員の一番人気だった。
二人の結婚に皆落胆したが、これ以上のカップルがあるはずもない。
「はあ…」
ムウは本日6度目の溜め息をついた。
マリューと喧嘩でもしたのか?と心配する声半分、歓喜半分。
最近は可愛い息子の為にサクサク仕事を片付けていたムウだが、今日は何か思い悩んだふうである。
どことなくやつれた雰囲気は女性社員に別の溜め息を漏らさせた。
「今日のフラガ部長はフェロモン全開ね」
「ええ。良い男は悩む姿も良いわね」
うっとりと見つめる視線には全く気付かず、ムウはまた溜め息をついた。
「何か難しい取引でもありましたか?」
周りも仕事にならないと判断した部下のノイマンがムウに話し掛けた。
「う〜ん…いやね、今夜のご飯はどうしようかと思って」
「は?」
有能なノイマンも間抜けな顔になってしまう。
聞耳を立てていた周囲は即座にマリューに逃げられたのかと思った。
「うちの奥さんがさ、昨日から月一の…アレが始まって辛そうなんだ。だから今日明日は俺が料理当番」
毎日の献立を考えるなんて主婦は凄いねーとへらりと笑う。
結婚もしてなければここしばらく女に縁のないノイマンは
「はぁ…そうなんですか」という曖昧な反応しか出来なかった。
「カレーかなぁ。キラも好きだし。あーでも肉なかったな」
「お肉でしたら駅前のスーパーが今日は安いですよ」
ムウの呟きに答えたのはさっきまで様子を伺っていた女性社員達だった。
「でもそういう時は肉よりシーフードの方がさっぱりしていていいですよ」
「それか野菜をたっぷり!」
「そうそう!やっぱ栄養のあるものが欲しいとこよね。肌荒れちゃうし」
次々にアドバイスしていく女性社員達にノイマンは圧倒され、ムウもぽかんと口を開けていた。
「でも私甘い物も欲しくなっちゃう。朝からケーキなんて日もあったもん」
「私も〜!チョコとか買い込む」
聞いただけで胸やけを起こしたらしいノイマンは一歩引いた。
尽きる事のない会話にストップをかけたのは意外にもムウである。
「ありがとう。とても参考になったよ」
白い歯が輝きそうな笑顔で女性達を一瞬にして黙らせてしまうのは流石である。
会社の女の子から教えてもらったスーパーでたくさんの野菜とデザートにプリンを買って急いで帰宅する。
マリューは眠っているかもしれないと気を使ってそろりと玄関を開けた。
クスンクスン…
ムウは心臓が凍るかと思った。
真っ暗な玄関ですすり泣く小さな塊。
霊なんて信じない方だが流石にこれはちょっと怖い。
「キラァ…驚かすなよ」
ガシガシと頭をかきながら中へ入る。
「ママびょーき?」
パタパタと駆け寄りムウの脚にしがみついて不安げな瞳を露にする。
「大丈夫」
震える体を抱き上げて安心させるようにポンポンと背を叩いてそのままリビングへ向かう。
リビングも日が落ちたというのに電気がついてなかった。
ニュースを伝えるテレビの明かりが不気味に見える。
(こりゃあキラも心細いわな)
マリューはテレビ前のソファでうたた寝をしていた。
ずりおちた毛布をかけなおしてやるとマリューはピクリと睫毛を揺らして目を醒ました。
ムウは申し訳無さそうに眉を下げて謝る。
「すまない。起こしてしまったな」
「あ…おかえりなさい。もうそんな時間?」
「ああ。そのままでいいよ。今晩は俺がやるって言ったろ」
「でも…」
「いいから、こういう時は主婦休業!」
な?と額をこづかれると頬を染めてマリューは小さくはい、と答えた。
そして被せられた毛布がキラのものだと気付きマリューはキラを探した。
キラはムウの後ろで瞳をウルウルさせて覗いていた。
真っ赤な瞳と頬に残る涙の痕にマリューは心が痛んだ。
「ごめんね、キラ。帰ってきたの気付いてあげられなくて」
キラはふるふると頭を振り、マリューにギュッと抱きつく。
子兎のように小さく震えるキラはどんなに心細かっただろう。
「この毛布キラがかけてくれたのね。ありがとう」
「偉いぞ、キラ」
ムウも誉めるとキラは漸く表情を和らげた。
料理の為にしばらく使っていなかった黒いエプロンを引き出した。
独身時代は男ながらもそこそこ料理はしていたのである。
ブランクはあるものの何とかなるだろうとシャツの袖を巻くし上げてキッチンに立った。
そこへマリューに甘えきりだったキラが空色のエプロンを持ってやってきた。
「キラもやる〜」
危ないから、と言いそうになったのをぐっと堪える。
子供の『やりたい』を無下にしてはいけない。
最近はキラもマリューの手伝いをするようになったみたいだから野菜を洗うくらいはさせてもいいだろう。
エプロンの紐を結んでやり、手を洗わせる。背が流しに届かないので椅子を持ってきてやった。
キラは水遊びの延長といった感じで流しを水浸しにして野菜を洗う。
横で苦笑しながらムウは野菜を切っていった。
玉葱が目に染みつつ、手際よく野菜を切り分けていく。
しばらくしてキラの不審な動きに気付いた。
「キ、ラ君〜」
笑顔ながらじんわり伝わる怒った声にひゃっと声を上げてキラはとびあがる。
キラはこっそりと嫌いな人参を隠そうとしていたのだ。
しかしただ布巾を被せるというバレバレな隠し方である。
「う…にんじんさんもねむいからヤだって」
「……いつも言ってるだろ。寝る前にお風呂に入れって。さあ人参さんを洗ってあげなさい」
キラは不満そうな顔をしながらも人参を洗いムウに手渡した。
キラは良い子だな〜と軽くおだてるがキラは頬を膨らませてムウを見上げる。
すっかりご機嫌斜めである。
「キラ。ほら、お星さまだぞ」
何とか機嫌を直そうと人参をキラの好きな形に変えていく。
余った部分は小さく刻んで溶かしてしまおう。
花、小鳥、魚…キラが仔猫だったならばゆらゆら揺れる尻尾とピンと立った耳が見えただろう。
嫌いなものでもムウに寄って器用に形を変えられていく事でそれが人参であることを忘れたようだ。
「パンダ!」
「パンダか…ちょっと難しいな」
そう言いながらもパンダらしい形が出来てキラは喜んだ。
始めはハラハラして見ていたマリューも微笑ましい二人に安心してソファで寛いだ。
理解のある夫と優しい息子は気だるい体を癒してくれる。
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