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「いやぁ、悪いね。生徒をアシにして」
「いえ…」
全然悪いと思っているように見えない教師に気付かれないように溜息をつく。
隣の学園へ行く付き添いのフラガ先生は予定をすっかり忘れて、早々に家へ帰っていたのである。
最近車の免許を取ったアスランが迎えに行き、他の3人は一足先に行ってもらうことにした。
「それにしてもえらいね、お前。もう免許取るなんて」
実力主義のこのプラントでは15才以上なら免許は取れる。
「そんなに難しくなかったですよ」
「あぁ?違う違う。良いとこのお坊ちゃんなら普通お抱えの運転手がいるだろ。
自分で運転する必要もないのに取ったのは、自分のことは自分でやるという意志の現れってやつじゃねぇの」
その通りだった。
早く父の影響下から逃れたかったから、自分で自由に行動するためのアシが欲しかった。
もっとも資格を取るための費用と車はその父に出してもらったのだから複雑だ。
「もうちょっとスピード出して良いぞ」
「…そうやって先日免停になったんでしょう」
「いや、この長い脚が滑って」
今度は思いっきり溜息をついてやった。
「ご機嫌斜め?そりゃあ男とドライブなんて楽しくないか。やっぱ助手席には彼女を乗せたいよな〜」
鋭いのか鈍いのかよく分からない男だ。
フラガは学園の先生達に挨拶をして行くというので、アスランは先に会議室へ行こうとした。
しかし、「どうせだからつき合え」と酔っぱらいのように絡まれて来客室に連れて行かれた。
マリュー・ラミアスとナタル・バジルールという先生が応対に出てきた。
フラガに促されて簡単に名乗るとナタルは「ザラ家の…」と呟く。
家のことに気付かれると大抵はこんな反応だ。
それは自分の影に父を見いだし恐縮してくる。
自分は父とは違う!と何度叫び出しそうになったかしれない。
途中ナタルからお茶を受け取り黙々と飲んでいると、機嫌が更に急降下したのにフラガが気付いた。
「やっぱり先に会議室へ行っておいてくれ」
「それなら今給仕室にお湯を取りに来た生徒がいますから案内させましょう」
「あら、何故ここに?」
「会議室の給仕室はガス台が壊れているらしいです」
「なんだ。それなら手伝ってやれよ、アスラン」
「はい」
「そんなっ!お客様にそのようなことは」
「いいんですよ。今時男だってお茶くらいいれなきゃ」
ねぇ?とウインクするフラガに苦笑するマリュー。
「しかしっ」
「構いません。私もフラガ先生の意見には賛成です」
亭主関白な父に対する反抗か、アスランは家事だってやるのだ。
アスランが立ち去った後、ナタルは気まずそうに口を開いた。
「私は何か彼の気に障ることをしたでしょうか?」
「あー気にしなくていいですよ。もともと今日はちょっと機嫌が良くなかったみたいだから」
「…それに、多分自分を見て欲しい年頃なのでしょうね」
ナタルは何とも言えない表情だ。
衝立を出て密かに溜息をつく…最近、溜息の回数が増えたようだ。
諦めを受け入れるその行為に自嘲する。
もう一つ溜息をついて給仕室へ足を向けた。
中の生徒に声をかけようとしたが、開きかけた口から声を発することは出来なかった。
櫛を通す必要もないといったサラサラの髪に華奢な体付き…後ろ姿だが「彼女」だと確信した。
逸る心を必死に抑えてそっと近づいた。
人の気配に気付かず何をしているのかと窺えば、やかんからは既に水が溢れていた。
(まさか…寝てる?)
そういえば初めて彼女を目にした時も寝ていたことを思い出し、笑いをかみ殺す。
そして、一瞬躊躇いながらも背後から蛇口に置かれたままだった細い手を外そうと握った。
途端に彼女の身体が震えて振り向く。
前回よりも近い距離で見る大きく見開かれた綺麗なスミレ色の瞳に吸い込まれそうになる。
驚かせたことを侘びるように微笑む。
そして退くに退けなくなった手を捕らえたまま、その白い手の甲に口づけた。
「また会えて嬉しい」
夢を見ているのかと思った。
期待と不安に思考が沈んでいた時に、突然悩みを植え付けた張本人が現れたのだから。
いつも一つの事を考えると周りが見えなくなる。
だから友達にはぼーっとしていると見られるのだが、その集中力でもって勉強すると成果は絶大。
かといって、背後の人の気配に気付けないのはまずいのだが…。
突然蛇口に置いていた右手を掴まれて心臓が凍るかと思った。
反射的に振り向くと…彼がいた。
何故ここに?夢?様々な疑問が錯綜し頭がパンクしそうだった。
すると前と同じ綺麗な笑顔を向けてくれて…夢でも構わないと思う。
スッと右手を引かれ、ごく自然な動作で手にキスをされる。
何の意味があるのか分からなかったが、伝わる温かさにこれが現実だと思われた。
しかし、「また会えて嬉しい」と甘く囁かれて、やはり夢なのかと不安になる。
茫然としていると彼は蛇口を閉め、やかんの水を減らしてコンロにかけた。
それを目で追うことしかできず、火がつく音にハッと引き戻された。
「あっ…すみません」
「?」
「それ、僕がやらなければいけないのに」
「あぁ構わないよ。手伝わせて欲しいんだ。俺も会議室へ行くからね」
「…ありがとうございます」
「どういたしまして」
あぁ…何だ。普通じゃないか。
それまで悩んでいた自分が可笑しくて笑ってしまった。
急に笑う自分に不審がることなく彼も笑みを返してくれて温かい気持ちになる。
「君は笑ってる方が素敵だね」
いつの間にか顔が近くにあって、急激に熱が集まる。
「あっ…そうだ!この間は助けてくださってありがとうございました」
「ああ…でも俺は君に恥ずかしい思いをさせてしまったのではないかな?」
「そんなことはありません!あの時は…そのっ…貴方があまりに綺麗だったので、恥ずかしくなっただけです」
お世辞ではなく真剣に言う姿に悪い気はしない。
「…綺麗ね」
「!!ごめんなさいっ!男の人に綺麗だなんて…でもそれ意外に言葉が見つからなくて」
そっと髪に触れられて言い終えることができなかった。
「俺は君の方が綺麗だと思うよ」
時間が止まったかと思った。
「コラー!こんな所で口説いてんじゃねぇ」
止まった空気を破ったのは大人の男の声。
振り返る彼につられて目線を走らせると、入り口の柱に寄り掛かる男の人がいた。
…いつからいたのだろう。
「お茶のおかわりですか、フラガ先生」
「いいやー。ちょっと遅いんで、お前が過ちを犯してないかと心配してね」
「覗きは犯罪ですよ」
「研究のための観察だ」
彼は肩を落として溜息をついた。
「今度は一体何の研究を始める気ですか」
「優等生の青春について」
「へぇ…そちらには珍しい研究があるんですね」
信じたのはキラだけだ。
アスランは困ったような顔をし、フラガは後ろを向いて肩を震わせている。
二人の反応にわけが分からず戸惑っていると、湯の沸く音にハッとして火を止める。
ポットに移そうとしたら彼に止められて、やってくれた。
ふと視線が気になって入り口を見やると、涙を滲ませた男が笑みを浮かべて手をこまねいていた。
「?」
先生だと言っていたので、何の警戒もなく近づくと肩に腕を回されて耳打ちされた。
「あいつ、ああ見えてむっつりスケベだぞ」
「は?」
ガンッ★
「ーっ!お前ね〜先生をお盆で殴るなよ」
「うるさい虫がいましたので」
「ほぉー。お前はお盆の縁で虫が殺せるのか。大した命中率だ。流石クルーゼのお気に入り」
「ええ、百発百中です。しかしクルーゼ先生のご研究には死んだ虫ではなく、生きた虫が必要なんですよ。
フラガ先生もご協力願えますか?」
笑顔で繰り広げられる会話だが、火花が散る気配を感じて、間に挟まれているキラは居たたまれなくなった。
残念ながらそれに先に気付いたのは、大人のフラガの方だった。
ポンポンと頭を撫でられ「すまんな」と言うので、気にしてないというように微笑んだ。
そんな二人に密かに眉を顰めるアスラン。
そんなアスランに気付いて愉快そうなフラガ。
「生徒をからかうのは感心しませんね」
呆れた声がかかる。
「やだな。可愛がってるだけですよ、マリュー先生」
「うちの生徒まで巻き込まないでください。キラ君、ナタル先生が呼んでるわよ」
「!あっはい」
慌てて出て行く姿を見送り、アスランは唖然と呟く。
「キラ…キラ・ヤマト?」
イザークが騒いでいたので、名前は覚えていたが…先日の模試で自分を抜いた女の子。
まさかそれが彼女とは思ってもいなかったので、動揺を隠せなかった。
「キラ君を知ってるのね」
「えっ、えぇ…まあ」
「可愛い子だったな〜紹介しろよ」
「あの子に手を出すことはこの学園全員を敵に回すことになりますよ」
「だとさ。苦労するよ、お前」
「あら、アスラン君なら私は応援するわv」
「…はあ」
「俺じゃ駄目ってことですか。傷つくな〜」
そこへキラが戻ってくると、「慰めて」と抱きつこうとするフラガの顔面にマリューが持っていたファイルが直撃。
皆、この男には容赦ないようである。
鼻を押さえて蹲るフラガに声をかけようとするキラをマリューが引き止める。
「気にしちゃ駄目よ。それよりナタル先生は何て?」
「あっ、昨日頼まれていたプログラム構築をできれば明日渡して欲しいって」
「まぁ…あれは貴女がやってくれていたの。ごめんなさいね、私達の手に負えなくて」
「構いませんよ…ただ少し分からない事があって、図書館へ行こうとしたのですが…ラクス達に捕まって…
困ったなぁ」
まだこき使われそうだし、と苦笑する。
「それなら後で俺にも見せて。プログラムは得意だから」
「えっでもちょっと複雑で時間がかかるから」
「なら尚更二人でやった方が早く終わる。君の足を引っ張らない程度の能力はあるつもりだよ。
よろしく、この間の模試で君の次だったアスラン・ザラだ」
「あっ!」
ニコルが電車内で呼んでいた名前を今思い出した。
通りで聞いたことのある名前だったのだ。
「…じゃあ、お言葉に甘えます。よろしく、アスラン。僕はキラ・ヤマトです」
いつの間にかフラガ復活。しかし鼻がまだ赤い。
「何?お前等。今自己紹介かよ?」
そういえば今の今までお互いの名前も知らなかったということに、どちらからともなく笑みがこぼれる。
初々しい雰囲気の子供たちを見て、大人たちといえば
「青春だね〜。良いデータが取れそうだ」
「えぇ私も」
「……(マリュー先生侮れんっ!!)」
ちなみにマリュー先生の専門は文学だ。
「さて君たち。もう会議室へ行きなさい」
「…フラガ先生は?」
「大人には大人の仕事があるのさ。おおっ、帰りは送らなくて結構結構」
(接待とか言って飲みに行く気だろう…)
言葉には出さなかったが、目が語っていたらしい。
「何だよ、その目は。俺だって大変なんだぜ〜」
「はいはい。お疲れ様です。でもあまり遅くまで無理なさらないでくださいね
…明日はクルーゼ先生が出張からお戻りです」
一瞬フラガの顔から血の気が引いた。
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