8
朝が来ると憂鬱だった。
繰り返される日常はあまりに単純で面白くない。
一日の楽しみよりも面倒を嘆く。
変わることのない朝だと思っていた。
助手席ですやすや眠る愛しい存在に自然と顔が緩む。
始めこそ緊張して起きていたキラだが、心地よく揺れる振動に負けたらしい。
わずか15分に満たない二人だけの空間がアスランにとっては一番幸福な時だった。
「キラ。着いたよ。起きて」
「ん〜……もう?」
「残念ながらね」
まだキラはぼんやりとして外を眺めている。
「キラ…涎が」
「えっ!嘘?!」
パチリと目を開き、顔を赤らめて慌てて口元を拭う。
「嘘だよ」
「〜っ!!アスラン!!!」
「でも目が覚めたでしょ」
「…君は意地悪だ」
「だってキラがあまりに可愛いから、ついね」
「///またそうやってからかう」
「からかってないよ」
「嘘。アスラン何か楽しそう」
「キラがいるからね」
「ほらやっぱり」
「違うって…」
むくれたまま車を降りようとするキラを引き留め、乱れていた襟を正してやる。
「また夕方に」
「うん…」
離れてしまうのは淋しかったが、また帰りに会えると思うと一日が楽しくなっていた。
授業終了後、アスランはすぐに帰ろうとしたが、今日はクルーゼ先生に用事を頼まれてしまった。
断るわけにもいかず、仕方なくキラにメールを送る。
〈ごめん。急用が入って遅れそう〉
すぐに返事は返ってきた。
〈お疲れ様。遅くなってもいいよ。待ってる〉
「待ってる」という言葉がどうしようもなく嬉しい。
(さっさと用事を片付けてキラに会いたい。)
しかし、クルーゼに頼まれる用事は大抵早く終われるようなものではなかった。
「キラ様。今日はアスランは遅いですね」
放課後、教室に一人残っていたキラに職員棟へ日誌を届けに行っていたラクスが気付く。
「急用が入って遅れるそうなんです」
「あらあら。でしたら、アスランの学園まで行かれますか?私今から参りますの」
「えっ?…そうですね。向こうに行っていた方がアスランも楽かな」
それにアスランの学園を見てみたいという好奇心もあった。
「えぇ。ですが、私の傍をけして離れないでくださいね。
夕方で下校している生徒が多いとは言え、キラ様には危険ですから」
「??変質者でも出るんですか?」
「そういうわけではありませんが…でも、仮面を付けたお方にはご注意ください」
「はあ…仮面ですか」
アスランの学園はどんなところだろう…普通じゃないのは確からしい。
教室を出る前にアスランにそちらへ行くというメールを出しておいた。
よほど忙しいのだろう。返事は返ってこなかった。
ラクスの車に乗って約5分という所にアスランの学園があった。
道も大体把握できたので、次からは一人で歩いてこれるかもしれない。
もちろんそんなことを言ったら、アスランはおろかラクスにも止められるだろう。
キラの学園の建築様式が繊細なら、アスランの学園は重厚と言える。
堅い雰囲気の建物の周りには白バラが所狭しと植えられている。
(白バラがこの学園の象徴なのだろうか)
初めて来た者皆がそう思うくらいに学園は白バラで埋め尽くされていた。
ラクスの後をついてメインストリートを歩いていると何処かで水の音がする。
忠告をすっかり忘れて、キラはふらりとその音に誘われていった。
「すごい数の白バラでしょう?……キラ様?あらあら大変」
後ろに付いてきていたキラの姿がないことに、ラクスが気付いたのは校舎に入ってからのことである。
西へ向かうにつれ、白バラの密度が濃くなる。
何処まで行っても白バラしかないことにキラは不安を覚えた。
広さに驚くよりも変わらない景色が怖かった。
途中バラの棘が脚を傷付けたが、早く水音に近づきたくて気にならなかった。
足が疲れてきた頃、一気に視界が開ける。
広い学園にしては拍子抜けするほど、こぢんまりとした庭だった。
中央に丸い噴水があるだけで周りは円を描くように白バラの壁。
近くには研究棟のような小さな建物が見えた。
(ここ何処だろう…)
ラクスと離れてしまったことに今更ながら気付く。
そんなになるまで引き寄せられていた水音は、実際に音源を目にすると何の感慨も湧いてこなかった。
がっかりしてもと来た道を戻ろうと振り返る。
視界いっぱいに広がる白。
あまりの白さと強い香りに眩暈がした。
グラリと揺れる身体を誰かに支えられる。
「大丈夫かね」
そろそろと目を開くと至近距離で広がる白が目の前に差し出されていた1本の白バラだと分かった。
さらに目線を上げるとキラキラと光を反射する波がかった金髪に…目元だけを覆う白い仮面。
ラクスが注意しろと言っていた人物だと気付き、ドキリとした。
支えられていた腰をグイと引かれて立たされる。
「あ、ありがとうございます」
礼を言って離れようとするも、まだ腰を捕らわれていたままだった。
「あのっ!」
「これはこれは珍しい蝶が舞い込んできたものだ」
「はあぁ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
唖然とするキラに仮面の男は口の端をつり上げる。
「白バラは好きかね?」
「……綺麗だとは思いますが、特には」
「それは残念」
さして残念そうにも見えず…というより目が隠れているので何とも言えない。
腰に回されていた手が外れ、仮面の男は徐に噴水の前に立つと、持っていた白バラをその水に浮かべた。
「あっ」
勿体ないと言いそうになるのは庶民ゆえか。
「蝶のお気に召さなかったようだからね。だが、これはこれで美しい」
「はあ。白バラがお好きなんですね」
「あぁ。この素朴でいて優雅なところがいい。夕日に赤く色づくのも見物だよ」
スッと腕を持ち上げ指さす先には沈みかけた夕日。
いくつかの白バラは既に赤みが差していた。
(確かにこれはちょっと面白い)
警戒心を解いて微笑んだ。
それを見て、僅かに仮面の下に変化があったことをキラは知らない。
「蝶はどんな花が好きかい?」
「そのさっきからおっしゃってる蝶というのは…」
「君のことだよ。花を探し求めて彷徨う可憐な蝶に見えたからね」
蝶は可愛いと思うが、何となく褒められているようには思えなかった。
「僕の名前はキラ・ヤマトですっ」
「キラ…良い名前だ。私はラウ・ル・クルーゼだ。っで、キラ君はどんな花が好きなのかね」
「僕は花の名前とか覚えるのは苦手で」
「ふむ。そういう場合は花を自分の身近な人に喩えて覚えると良い」
「へぇ。面白そうですね」
「私も気に入った生徒は名前を覚えるよりも、花に喩えてその子の本質を覚えるのだよ」
変な先生だ。
「試しに私を君が知っている花で喩えてみてくれたまえ」
「えぇぇっ?!」
難しい。模試の問題よりも遙かに難問だ。
乏しい知識をフル稼働させるも全く思いつかなかった。
言わないと侮られそうだし、下手な喩えをしてしまえば呪われそうだ。
(髪が金色だから黄色い花で……ヒマワリ?
いや、どちらかといえばそれはディアッカさんだ。
あぁぁ!どうしようっ!!)
頭を抱えて悩むキラを見て、クルーゼの口が僅かに上がる。
意地悪をされているようでムッとした。
黄色で思い浮かんだのは花ではないが、もうこれしかないと思って口を開く。
「花は思いつきません。貴方は蜂みたいだ」
チクリチクリと刺す仮面に隠れた視線。
テリトリーを侵す者を徹底排除するような雰囲気を醸し出しているのだ。
「ほぉ…面白い。私を蜂に喩えたのは君が二人目だよ」
「その人とは気が合いそうです」
皮肉を込めてにっこりと笑ってやるが、口元を歪めて軽く受け流される。
「キラ?」
驚きを含んだ呼び声に顔を向けると、銀髪を風にそよがせた麗人が立っていた。
始めこそ印象は最悪だったが、その不器用さに気付いてからは逆に可愛い人だと思うようになった。
「イザークさん」と呼ぼうとする声はクルーゼによって阻まれた。
「やあ、デンドロビューム」
デン…何?イザークさんのこと??
困惑するキラを置いてクルーゼはイザークのもとへ歩み寄る。
クルーゼは銀髪を一房掴み、それに唇を寄せて呟く。
「相変わらず美しい」
イザークは満更でもないような顔でそれを受け止めている。
見てはいけない世界を見てしまったようでキラの思考は固まってしまった。
(アスランの学校って…)
「キラと何をされていたのですか?」
「花の観賞を勧めていたところだ。君の知り合いか…蝶は高級な花が好きと見える」
「先日ディアッカ達と隣へ行った時に知り合った子です」
「ああ…ということはアスラン達もだな。ふっ…蝶はどの花を選ぶのだろうな」
「…蝶ですか」
イザークは複雑そうな顔だ。
「傷ついた蝶を癒してあげるのも花の役目だよ」
「……何処か怪我をしているのか、キラ?」
突然話を振られて慌てた。
「えっ…別に怪我なんて」
イザークは視線を下ろしていくと眉尻を上げた。
「脚から血が出ているぞ」
「…本当だ」
そういえばここへ来る時にチクリと痛みが走ったような気がする。
「来い」
有無を言わせない命令口調に思わず駆け寄る。
イザークがクルーゼに一礼したのに倣って、キラも頭を下げる。
「私は君を気に入ったよ。また来てくれたまえ」
「はい…」
正直、もう来たくないという言葉は閉まっておいた。
去った後もずっと見られているようで怖くて振り向けなかった。
無意識のうちにイザークの制服の裾を掴んでいた。
イザークは少し驚いたような顔をしたが、振り払わなかった。
「あの人が怖いのか?」
「ちょっと…怖いというより、どんな人なのか掴めなくて不安です」
「そうか。だがあの人は優秀な先生だ」
「イザークさんは好きなんですね」
「好き…なのかな。尊敬していると言った方がいい。それにああやって褒められるのは嫌いではない」
自信に溢れた態度が嫌味なく似合う。
「そういえば、デン…何とかと言われていたのはイザークさんのことなんですか?」
「デンドロビューム。白い花だ。あの人は生徒を花に喩えて呼ぶことがある。
それはあの人に気に入られた証拠だ」
「じゃあ、僕は嫌われたのかもしれません。蝶だなんて」
「花は男にしか喩えないらしい。だからキラは仕方ない。…だが、俺は蝶は好きだぞ」
一般的な蝶を言っているのか、それとも…?
何と言っていいか困っているキラを見て、イザークは苦笑して話を逸らす。
「ところで何故ここにいる」
「アスランと一緒に帰ろうと思って、ラクスに連れてきてもらったんですけど…はぐれてしまいました」
「…何を考えているんだあいつは」
「え?」
最後のは独り言だったらしい。
険しい顔をしたイザークはそれから何も言わずに歩くので、キラも黙るしかなかった。
キラ達が去った後の庭ではー
「そこにいるのは分かっているよ、ムウ」
「…お嬢ちゃんをあまり苛めるなよ」
キラの後ろ姿を見送るクルーゼの背後からフラガが現れる。
「君は少々かくれんぼが上手すぎるからね。白バラはあの蝶を気に入りそうだと思ったが…当たりか?」
「その回りくどい言い方は止めろ。それに子供に手を出すほど不自由はしていない。
ただあの子は放っておけないというか…」
「妬けるね」
「何かしたらお前の大事な花たちが騒ぐぞ」
「安心したまえ。私はキラを気に入った。君以外に私を蜂に喩える者がいるとは思わなかったよ」
「キラの言う蜂は蜜蜂みたいな可愛いもんだろうが、俺が言ってるのはスズメバチだぞ」
「ふっ…だから私は君が好きだよ」
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