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キラはイザークに連れられて保健室に来ていた。
保険医は既に帰宅していたので、イザークが手当てをする。
怪我は大した痛みはなかったのだが、左のふくらはぎをかなり切っていたらしい。
丁寧に消毒し薬がつけられていく。
包帯を巻かれる時にイザークの手が触れてくると歳の近い男の人にこうして素肌を触られた事のないキラは緊張した。
細い指先の綺麗な手をしているがやはり男性の手だと感じずにはいられない。
しかし、手つきは優しいのにさっきから口を開かないイザークに不安になる。
また僕は彼の気に障ることをしたのだろうか?
怪我をして面倒をかけてしまった事に怒ってる?
せっかく仲良くなれそうな気がしていたのに…
キラは自分でも気付かない内に涙ぐんでいた。包帯を巻き終えて顔を上げたイザークはギョッとした。
キラは今にも零しそうな涙を溜めている。
「すまんっ!キツく巻きすぎたか?!」
慌てて包帯と解こうとするイザークの手にそっと手を重ねて制止する。
「違います…」
「では何故泣くんだ?」
イザークは困惑していた。
自分の母親は強い人でけして涙を見せない女性である。
だから涙を見せるのは女であろうと弱い人間だと見下す対象でしかなかったのに
…キラの涙はイザークに今までにない罪悪感を抱かせた。
「ごめんなさい。僕はまた何かイザークさんの気に障ることをしてしまったみたいで」
「……何のことだ?」
「さっきから何もおっしゃらないのは怒っていたからではないのですか?
僕は貴方に迷惑をかけてばかりだ」
「あぁ…それは……別のことだ。お前を怒っているわけではない」
「別のこと?」
「そうだ。キラはアスランとラクスが………いや、何でもない」
「??二人が何か?」
半端に止めてしまったので気になるようだが、傷つけてしまいそうで躊躇われた。
「キラはアスランと仲が良いのか?」
「はい。最近車で送り迎えをしてもらってます」
「…そうか」
イザークは顎に手を当てて何かを考え始めたため、再び沈黙が流れる。
キラは少し躊躇いながら口を開いた。
「僕は…」
小さな声にイザークは視線をキラに戻す。
目が合ったことに勇気付けられてやや早口に告げる。
「僕はイザークさんとも仲良くなりたいですっ!」
「…………何だって?」
イザークは言われたことが理解できず呆気に取られた。
長い付き合いのディアッカにも見せた事のない間抜けな顔をしていたに違いない。
「駄目…ですか?」
そんな潤んだ瞳で言われて断ることのできる人間はいないだろう。
「駄目とかいうわけではなく…お前は俺が怖いのではないのか?」
出会った時からイザークに対してビクついていたキラに気付かないほど愚かではない。
キラはバツが悪そうに目線を少しずらした。
「初めは…ちょっと。でも今はイザークさんが怖いんじゃありません。
イザークさんに嫌われる事が怖いと思います」
膝の上で握られた拳は僅かに震えていて…拒絶されることを恐れている。
その必死さに堪らなくなった。
俯いたままのキラの頬に片手を添えるとキラは一瞬ビクリと肩を揺らしてゆっくりと顔を上げた。
「嫌うわけないだろ」
こんなに綺麗な心を素直にぶつけてくるキラが羨ましいと思う。
キラを弱いとは思わなかった。
イザークにできないことをキラは当然のようにやってしまえるのだから。
その言葉にホッとしたのかキラは涙を溜めたまま顔を綻ばせた。
目を細めた拍子に零れた涙が愛しい。
拭ってしまうのが惜しくて…イザークは無意識のうちに唇で涙の跡を追った。
途端にキラの顔が一瞬にして真っ赤になる。
そしてイザークもハッと我に返って今の状況を意識した。
ぎこちなくイザークが手を外して離れると、ほぼ同じに顔を逸らした。
い、今のは何だったのだろう?
「すまない」
「いえ…」
お互いの顔を見ることもできないまま再び居心地の悪い沈黙が流れた。
「アスラン」
クルーゼの研究室へ頼まれた書類を抱えて入ろうとするとラクスに呼びとめられ顔だけ振りかえる。
「今日は文化祭の打ち合わせですか?」
「ええ、ニコルとピアノの件で。それよりキラ様を見かけませんでしたか?」
「!?キラが来ているんですか?」
「途中ではぐれてしまいましたの」
居ても立ってもいられず駆け出そうとしたアスランに話し声を聞いて研究室から出てきたクルーゼが止める。
「ラナンキュラスをこんなにも動揺させるとはあの蝶も侮れないな」
「蝶?」
アスランは早くキラを見つけたかったので内心舌打ちしたがクルーゼの言葉が引っ掛かった。
表情が見えないがクルーゼが面白がっているのは明らかだった。
「先ほど私の庭園に傷ついた蝶が迷い込んできてね。デンドロビュームが癒してあげているから心配しなくていい」
「イザークが何を?」
初めてクルーゼと会った時、アスランは春に咲く赤い花『ラナンキュラス』と名付けられた。
イザークとニコルはすんなり受け入れ、ディアッカに至ってはどうでもいいというように受けとめているが、
アスランはその名前に隠された意味を疑わずにはいられなかった。
係わり合いにならないほうが良いと警鐘が鳴ったにもかかわらず、
研究者としての資質に惹かれていつのまにか研究の手伝いをするようになっていた。
だが、クルーゼのこういう喩え方の真意を計るにはまだ苦労している。
「だからそういう言い方はよせって」
研究室からフラガが疲れた顔で現れて、億劫そうに扉に背をもたせかけた。
彼を称する名前は『白薔薇』。
この名が意味するところをアスランは考えないようにしている。
「キラなら足を薔薇の刺で切っていたからイザークが保健室に連れていったぞ」
「!失礼しますっ」
それを聞くなり、書類をクルーゼに押しつけるようにしてアスランは駆け出していた。
その後ろ姿を笑顔で見送るラクスにクルーゼは皮肉めいた笑みを零す。
「クライン嬢は随分と余裕なようですな。なかなか魅力的な蝶ですよ」
「私も蝶が好きですから」
「ラナンキュラスに停まる蝶をも捕らえてしまうおつもりか」
「あら、アスランとは婚約解消致しましたのよ」
「ほお…では狙いは蝶ですか」
「とても大切な蝶ですの。貴方の白薔薇が傷つけたと聞いて私とっても怒っていますの」
「おいおい!とばっちりは勘弁してくれ」
笑顔で睨み合う二人にフラガが焦って間に入る。
「ったく…俺もちょっと様子を見てくるよ」
「私は他に用事がありますからお願いしますわ・・・ついでにフラガ先生も首筋を虫に食われた跡がありますから、薬を塗った方がよろしくてよ」
フラガは咄嗟に首を隠してクルーゼを睨みつけた。
「花はしっかり手入れをしませんとね。変な虫がついては困りますから」
「ええ、本当にご注意なさいませ」
ラクスにつけられた名は………女郎蜘蛛。
フラガはそそくさと退散していた。
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