僕の家庭教師・前




キラの成績はけして悪くない。
むしろいつも上位にいて、幼馴染のアスランと切磋琢磨しているほどだ。
しかし、両親は“鳶が鷹を産んだ”と息子の優秀さを喜びながらも何処か抜けているキラを心配して、 志望大学の在学生を家庭教師として雇った。
キラはそれで親が安心するのならと承諾した。

先生の名前はディアッカ・エルスマン。
陽気なお兄さんなのだが遊びに来ているだけのような人だ。
お人好しで一人っ子のキラは兄が出来たようで喜んでいた。
それが昨日――
いつものごとく勉強するキラを置いて、ベッドに寝そべって雑誌を見ていたディアッカが今思い出したように告げた。
「そうそう。俺明日から一ヶ月アフリカに行くから、代理の奴を寄越すようにしたぞ」
「え?!一ヶ月くらい休みで良いですよ」
今も一人でやってるわけだし。
「いや、それじゃあおばさん達の方が不安だろ?堅い奴だが、俺より頭は良いぞ」
「いえ…頭が良いかどうかじゃなくて」
「だよなー。お前は一人でも勉強できるし。ちょっと癪だが顔が良い」
それこそ必要の無い事だ。
「まっいいじゃん」と結局押し切られてしまった。




「キラ。先生がお見えよ」
母の呼び声に驚いて部屋の扉を開ける。
契約時間通りで少し油断していた。
ディアッカはいつも遅れて来ていたのである。

扉を開けた瞬間息を呑んだ。
銀灰の真っ直ぐな髪に静かな湖を思わせる瞳は吸い込まれそうに深い。
一瞬見惚れていたキラにすっと手が差し出される。
「イザーク・ジュールだ」
「…キラです」
手を握ると冷たくて、自分の手の熱を異様に感じる。
「では、よろしくお願いしますね」
何処かウキウキしている母に苦笑しながら、部屋に招く。

机に着くとそばに椅子を持ってきて座るイザークに焦る。
「ノートを見せてみろ」
恐る恐るノートを渡すと表情を変えることなくめくっていく。
「悪くないな」
「はぁ」
「今分からないところはあるのか?」
「いえ。特にありません」
「ならこれを解いてみろ」
「はい」
指定された問題を解こうとするものの、どうも落ち着かなくていつもの倍の時間がかかってしまった。
すぐ隣で腕を組んでジッと手元を見られていると緊張する。
「できました」
無言で顔を近づけてノートを見る横顔に鼓動が跳ねてうるさい。
「…いいな。じゃあ次のページを」
「あっあの!」
「何だ?」
「僕一人でやれますから。ずっと傍についていなくていいですよ」
勇気を振り絞ってそう言うとイザークは眉を顰めた。
「…ディアッカはどうしていたんだ」
「大抵はベッドで本を読んでいたり」
眉間に皺が寄る。
「手がかからないというのはこういうことか」
「…」
イザークは髪をかきあげてしばし思案する。
キラはサラサラ流れる銀糸に見惚れていた。
「俺は与えられた仕事はきっちりこなす。このまま気にせず続けろ」
気になりすぎるから離れて欲しいのに。
先ほどから張り詰めていて少し疲れてしまった。
するとポンと肩を叩かれる。
「力を抜け。入試も慣れない人ばかりの所で受けるんだ。 緊張して力を発揮できない事をお前の両親は心配しているのだろ」
無関心のようでよく見ているようだ。

少しずつ緊張も解れていつものペースを取り戻した。
イザークは答えを見て丸をつけるだけでなく、正解した物までより有効な答え方を導き出してくれる。
余計なことを言わないが、教え方は簡潔に重要ポイントを押さえているので分かり易い。
そういう考え方もあるのかと分かると今まで単調だった勉強が面白くなった。
表情の和らいでいくキラにイザークは目を細めていた。


終了してイザークを見送る頃にはキラはすっかりイザークに気を許していた。
「今日はありがとうございました。また明日ね、先生」
にっこりそう言うキラにつられてかイザークも微笑して帰っていった。
初めて見た笑顔に頬を染める息子を後ろから見ていて少々心配する母。


冷たい印象のイザークだが結構面倒見が良かった。
「模試の結果はないのか?見せてみろ」
休憩中、お茶を飲みながら唐突にそう言うイザークに整理好きの母が閉じてくれていたファイルを渡すと、 中を見て段々眉間に皺が寄って来る。
「ここ最近ずっと2位だな」
「ええ。1位は幼馴染なんです」
「幼馴染?」
「アスラン・ザラと言って何でも凄いんですよ。自慢の友人です」
「アスラン…」
顎に手を当てて考え事をするイザークをぼんやりと見つめる。
(やっぱり綺麗だよな、先生…大学でもモテるんだろうな)
チクリと胸が痛んだ。
「次の模試はいつだ?」
「5日後です」
「1位を取るぞ」
「えっでもアスランには適わないと思いますよ」
「いいや。できるはずだ。お前は気持ちが弱いだけで実力は十分ある。もう少し這い上がる根性を見せろ」
「…はい」
「明後日は休みだが時間がないから特別授業をしてやる」
パコッ

ミスをすると丸めたノートで叩かれる。
それでも随分優しいものだが。

機嫌が悪くなっていくキラにイザークは少し態度を和らげる。
「1位が取れたら…お前の好きな所へ何処にでも連れていってやるから」
「えっ?本当?」
「あぁ。だからもう少し頑張れ」
「うんっ!」
イザークは現金なキラとキラに甘い自分に苦笑する。



結果が出るのは3週間後。
そしてイザークが家庭教師に来るのもそれで最後だった。


結果は見事アスランを押さえて1位。
しかしアスランは悔しいというより嬉しそうだ。
「やるじゃないか、キラ」
「うん。今回は家庭教師にしごかれて頑張ったよ」
「あのやる気の無い奴がか」
「ああ、違うよ。今はディアッカ先生の代理でイザーク先生という人なんだ。すごく熱心だよ」
「イザーク?…もしかしてイザーク・ジュール?」
「知り合いだったの?!」
「父の仕事の関係でな。あの人冷たくなかったか?」
「全然。優しいよ」
「へえ。意外だ。いつもは近寄り難い雰囲気なんだけどな」



イザークに結果を見せると「よく頑張ったな」と笑顔を見せてくれてドキリとする。
「っで。キラは何処へ行きたい?」
「先生の大学を見てみたいです」
「…そうだな。志望大学なら見ておいても良いだろう」

遊園地と言われたらどうしようかと思っていたと言われて、もう子供じゃないです!と頬を膨らせると軽く叩かれる。
その青い瞳があまりに穏やかで、少し切なくなった。





ブラウザの戻るをご利用下さい。