僕の家庭教師・後
翌々日、キラの高校は開校日で休みだったので、一日大学を見学させてもらえるようにイザークが手配してくれた。
朝、車で迎えに来てもらった時は眠そうだったキラは大学に着いてからは興味津々に見入っている。
「この並木道素敵ですね。春になったら凄いんだろうな」
「毛虫が多いだけだぞ」
「…夢を壊さないでくださいよ」
講義室へはいると視線が一気に集まる。
たじろぐキラの手を引いてイザークは一番後ろの席に座る。
「僕がまだ高校生だって分かったのかなあ。できるだけ違和感ない服装で来たつもりだったんだけど」
目を惹いたのは服装ではなく、その愛くるしい容姿だ。
ベルが鳴ると同時に教授が入ってきた。
キラはその顔に釘付になった。
目元を覆う仮面…初めて目にする者ならギョッとするか、近寄らないだろう。
凝視していた視線に気付いたらしく、教授はキラに顔を向ける。
「ほお。見かけない顔があるな」
「彼は知り合いの高校生で今日は一日体験です。許可も受けています」
スッと立ちあがってそう言うイザークに慌ててキラも立ちあがる。
「キラ・ヤマトです。お世話になります!」
頬を紅潮させてぺコリと頭を下げる姿に、周りの空気が若干和む。
「ふむ。せっかく来たのだから前に来なさい」
どうしよう?とイザークを伺うと憮然として広げていた教科書等をまとめ出した。
イザークに続いて一番前の席に座る。
始めの内は仮面が気になって仕方がなかったのだが、話を聞いているうちに気にならなくなった。
内容全てが分かるわけではないが、話しのうまい教授だ。
最後の方になって黒板に数式を書かれた。
「これができた者から退室したまえ」
キラはこれを解く必要は無いが、何もしないよりはと試しに解くことにした。
見たことの無い数式だが、高校で学んだことを応用すれば何とかなりそうだった。
先に終ったイザークは黙ってキラが解いていくのを見つめる。
難易度は高い方だ。
「できた」
「…正解だ」
「本当?パズルしてるみたいで面白かった」
いつの間にか正面に立っていた教授がクスリと笑う。
「なるほど。イザークが目をかけているだけはあるな。すばらしい」
ありがとうございます、という言葉は途中で切れる。
額に柔らかいものが下りて来たからだ。
それが唇だと気付くのに時間がかかった。
「私は賢い子が好きだ」
周囲はざわめき、イザークは眉を顰めていた。
唖然としたままのキラを引っ張って講義室を出ていく出ていくイザークを仮面の教授は愉快そうに見送った。
「僕、何されたの…」
「…気にするな」
ショックを受けたままのキラを落ち着かせるために学食へ移動する。
茶を目の前に置いてもキラは呆然としたまま手をつけない。
しばらくはそっとしておいてやろう。
お昼近くになり、学食は次第に人が集まり騒がしくなる。
「よお!久しぶりだな、お二人さん」
陽気に声をかけてくるディアッカにイザークは目線だけを寄越し、キラはノロノロと顔を上げる。
「聞いたぜ。あのクルーゼ教授に気に入られた高校生がいるって。その分だとキラに間違いないな」
「もう広まっているのか」
「あぁ。大騒ぎだぜ」
「気に入ったって…あれは嫌がらせじゃないんですか?」
「あ〜一応アレがクルーゼ教授の愛情表現っつーか。そう気を落とすな。イザークもやられたんだぞ」
「えっ?!」
「余計なことを…」
剣呑なオーラを出すイザークにディアッカは慌てて逃げる。
「よしっ!今日は二人にお兄さんが奢ってやろう」
そして注文も聞かずに行ってしまった。
それを見送ってイザークは溜息をつく。
「…ここを受けるのが嫌になったか?」
「そんなことないよ。ただあんなことされたの初めてでびっくりしただけ」
笑顔が引き攣っている。
無理が見え見えのキラの鼻を軽く摘む。
「わっ!何するんですか!?」
涙目で睨まれても可愛いだけなのに。
「安心しろ。今度はちゃんと守ってやるから」
普段のイザークを知る者には考えられない穏やかな顔で楽しそうに言う。
周りでこの目立つ二人を伺っていた学生達は驚愕し、中には食べ物を落とす者までいる。
「それは普通女の子に言うもんだろ」
戻ってきたディアッカが呆れている。
手には適当に持ってきた昼食。
「俺がいない間に随分変わったな、イザーク。キラのせいか?」
「僕のせい??」
訳が分からないという表情で首を傾げる。
「そーいうとこがイザークの氷のように冷たい心を溶かしたんだろうな」
「冷たい?イザーク先生は始めから優しかったよ」
「へえーほおぉ。そりゃーまた」
ニタニタ笑うディアッカをイザークは睨みつける。
ぐぅぅ…
緊張感の無い音に二人の気はそれ、キラは真っ赤になってうつむく。
ディアッカだけでなくイザークまでが声を上げて笑う。
「―っ!だってお昼だし!!」
「あぁそうだな。こいつの奢りだから遠慮無く食べろ」
「キラ、最高!ドンドン食べろよ」
しかしキラが食べる量は二人より明らかに少なかった。
「これからどうするんだ?俺は夕方からバイトだから帰るよ」
「帰国して早々またバイトか」
「そっ。今度はキラより一つ下の子の家庭教師も引き受けることになったんだ」
「かけもちする気か」
「まぁ、何とかなるっしょ。キラみたいに可愛くて手もかからないんだけど…何か隠してそうな子なんだよな」
じゃあ、と立ち去ろうとする時、イザークに耳打ちする。
「何ならキラを譲ってもいいけど?」
「…考えておく」
昼からは施設を案内してもらう。
何処も珍しくて見とれてしまい、途中迷子になりかけたので今は手を引かれていたりする。
朝も見た並木道をそうして歩いていると数人から声をかけられる。
しかし、皆同じような台詞だ。
「可愛い彼女だな、イザーク」
「…僕男なのに」
心外だと頬を膨らませるキラは正に少女のごとく…だからイザークは何と慰めていいか分からなかった。
「イザーク」
女性の高い声と同じにイザークの左腕にスルリと細い腕が巻きつく。
イザークと同じ銀髪の妖艶な美女だ。
「今忙しい」
「いつも冷たいのね。ちょっとだけ時間を頂戴よ」
「後にしろ」
「今じゃなきゃ駄目なの」
イザークは溜息をつきながら、キラにちょっと待っててくれと言って少し離れる。
端から見れば、絵に描いたような美男美女だ。
キラはそんな二人を複雑な気持ちで見ていた。
(何だろう…また胸が痛い。)
ぼんやりとして二人を眺めるキラの肩を誰かが叩いた。
「ねぇ。何してるの?」
ハッとして振り向くと金髪に切れ長の目をした青年が立っていた。
「イザークを…あそこにいる彼を待ってるんです」
「あぁ…あの人に捕まったなら長いよ」
「…そうなんですか」
「つまらなそうだね。俺と話しない?」
「えっでも」
「大丈夫だって。すぐそこのベンチだし、俺はイザークの友達だよ」
グイグイ腕を引っ張られて少し怖くなった。
振り払おうにも力が適わない。
「ちょっ…放して」
「何のつもりだ、ミゲル」
怒気を孕んだ声にミゲルと呼ばれた青年は焦って掴んでいたキラの腕を放した。
「いや…この子が暇そうだったし、少し話がしてみたいな〜って、ねぇ?」
同意を求められたが視線を逸らして、イザークの腕に縋り付く。
「とてもそんな風には見えんが?」
「…悪かったよ」
「キラも嫌ならちゃんと…」
イザークの説教はキラが涙を零したことで中断された。
「泣くほど嫌だった?傷つくなぁ」
「違います。…先生を盗られたと思っていたから」
「…キラ」
「あっ!ごめんなさい。何言ってるんだろう…先生はもう僕の先生でもないのに」
「可愛いっ!可愛いわvヤキモチねっ!!」
先ほどの女性が近づいて、キラに頬擦りする。
キラは真っ赤になって固まってしまった。
「ふふっ、でも心配しないで。私達単なる親戚だから。もうお話は終ったから貴方の先生返すわねv」
去り際に頬にキスをして「イザークに泣かされたら言ってねv」とキラにだけ聞こえるように耳打ちする。
キラは全身を真っ赤にして口紅のついた頬に手を当てて呆然とした。
イザークはキラを上向かせて頬の口紅を拭ってやる。
「大学の印象最悪だな」
「いえ」
「…でもキラのヤキモチは嬉しい」
「////あれは!」
「お前ら、公道でイチャイチャするな」
「何だ。まだいたのか、ミゲル」
「はいはい。お邪魔虫は消えますよ。またね、お嬢ちゃん」
「僕は男ですっ」
驚愕するミゲルに舌を出して、キラはイザークの腕を引っ張っていった。
「何で皆間違えるかな」
怒り心頭といった感じだが、先ほどの事をごまかしたいらしいのも見え見えでイザークは苦笑する。
「高校では間違えられなかったか?」
「初めの頃はあったけど、アスランと一緒だったからか間違えられることはなくなりました。
アスランはクラスの女の子より綺麗だから」
それだけではないだろう。多分アスランが暗躍してキラを守ってきたに違いない。
イザークは少し面白くなかった。
「やっぱり受けるの止めたくなったか?」
「…先生が守ってくれるんでしょ?」
一瞬耳を疑った。
キラは伺うように見上げてくる。
何も言わないイザークに瞳が不安そうに揺れる。
「あぁ…そう言っただろ」
動揺して掠れた声で何とかそう言うと、キラは嬉しそうに微笑んだ。
キラを送る車の中でイザークは少々躊躇いながら口を開く。
「キラがよければ今後も俺が家庭教師を続けるが…どうする?」
「ほんとに?」
「ああ。ディアッカからも許可は貰ってる」
「よろしくお願いします!」
元気一杯に言われてホッと胸を撫で下ろした。
大学に入学する頃には「先生」という呼び方を止めされるつもりだが。
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